特定非営利活動法人 Human & Animal Bridging Research Organization エイチ・エー・ビー研究機構

おくすり情報 No.27 ドラッグ・リポジショニング (2016年05月発行)

おくすり情報 No.27 ドラッグ・リポジショニング (2016年05月発行)

監修:岡 希太郎(東京薬科大学 名誉教授)

ドラッグ・リポジショニング(DR)とは、今ある薬のなかから、別の病気に効く薬を見つけ出すこと。実例として、妊婦のつわり予防薬だったサリドマイド。重篤な障害児出産が原因で販売中止となった後、ハンセン病の治療薬(米国)と多発性骨髄腫治療薬(日本)として販売許可されました。その他にも高血圧治療薬が育毛薬になったり、心臓の薬が勃起不全に使われるようにもなっています。障害性の副作用が新たな病気治療薬に応用された例は他にも多くあります。
 薬の副作用には障害性が目立つのですが、元々どんな薬にも複数の作用点があって、それらがすべて障害性の素になるわけではありません。それどころか何か別の病気の治療薬になる可能性だってあるのです。そんな薬発見(創薬)の方法論が話題になっています。今回はアルツハイマー病(AD)について、DRの可能性をまとめます。

■失敗した治験

ADが発症する20年も前に、脳のなかに老人斑が出現します。ある種のタンパク質が沈着した小さな塊で、年を経ると数が増え、やがて物忘れが始まる年になるのです。老人斑を作るたんぱく質はベータアミロイド、略してAβと呼んでいます。今世紀になって、Aβを標的とした数種類の新薬候補物質が作られて、大規模な臨床試験がはじまりました。しかしどの治験も困難を極め、遂に2012年の夏「治験はすべて失敗に終わった」との衝撃ニュースが伝わってきたのです。治験に関わった人達だけでなく、医学界にとっても患者と家族にとっても残念なニュースとなりました。

■治療より予防

AD治験の大失敗を反省してか、2013年には早くも新たな治験が始まりました。治験薬は前と同じですが、対象とする被験者の症状を、AD発症まで数年の余裕がある軽度認知障害(MCI: Mild Cognitive Impairment)、いわばAD予備軍の人達に替えての治験です。Aβを標的とする薬物は、ADを発症してからでは効果が出ない。もっと早い時期に使えばきっと効果が現われるのだ。悲鳴にも似た関係者の苦渋の決断が目に浮かぶほどです。
『治療より予防』、『未病のうちの治療』という漢方医学にあるような昔からの考え方で、AD予防治験が始まっているのです。

■合言葉はMCI

『MCIのときから治療すればAD発症を遅らせることができる』。この考え方は社会に強いインパクトを及ぼしました。病院には『物忘れ外来』が誕生し、『ちょっと怪しいと思ったら診て貰いましょう』が合言葉のように囁かれ、『MCI』と診断されたら、『脳トレーニング』に励みましょう。飲むべき薬が出来るまでの間、考えられるありとあらゆる方策を施してAD発症を遅らせる。もし5年遅らせることができれば、全国のAD患者数は半分になる(5年倍増説:おくすり情報No.21を参照)。国も助成金を出して、認知症の発症を遅らせる国民の努力に期待をかけているのです。正に合言葉はMCIとなっています。

■続々登場・DR候補薬

ADになりやすい生活習慣などをまとめたリスク因子を表にしました。もう1つ、ADにならないための8ヶ条を見て下さい。リスク因子のうち、加齢と遺伝因子は避けようがありません。他の因子は避けて通ることが可能です。3~7の病気には、ならない努力が求められます。どう努力するかは、8ヶ条に具体的に書かれています。生活習慣を改善する努力があれば守れますし、守ることでADにならずにすむか、少なくともなる年齢を遅くできます。
このような背景のもとで、より積極的にしかも安全にADを予防できるであろうDR候補薬が提案されました。提案の根拠となるエビデンスは色々ですが、それぞれに納得できる内容です。表にまとめてみました。





■DR候補薬・各論

複数の研究機関がアルツハイマー病(AD)に有効なDR候補薬を提案しています(表3を参照)。国立研究所や有名私大医学部の研究者の提案なので、それなりの根拠に基づいての提案です。どの候補薬もいわゆる有名医薬品ではありません。地味な存在と言えるかもしれません。

◎ DHA
ドデカヘキサエン酸というより、DHAの方が知られています。青色魚の油身に含まれる必須脂肪酸です。京都iPS研究所の井上教授はiPS技術を駆使して、AD患者の皮膚細胞から、ADの障害をもった脳神経細胞の樹立に成功しました。そしてこれを使って市販薬のスクリーニングを行いました。結果は予想外のもので、なんと食品成分がDR候補薬として浮かんできたのです。8ヶ条の第4項に『青色魚を食べる』と書かれているわけは、DHAがAD認知症を予防するという井上教授の研究結果を先取りしていたのかも知れません。

◎ セルベックス
胃腸薬セルベックスは、粘膜が荒れて吐き気を催すような胃炎によく効く薬です。慶應義塾大学の水島教授は、熱ショック蛋白質の産生を促すセルベックスが、アルツハイマー病ラットの脳神経細胞の死を防いでいることを発見しました。胃腸薬セルベックスがADを予防する候補薬になったのです。熱ショック蛋白質がどうやって細胞死を防いでいるのか、詳しいことはわかっていません。今のところわかっていることは、経口投与したセルベックスの分子が脳内にも分布して、そこで熱ショック蛋白質を誘導しているということです。臨床試験の結果に期待がかかっています。

◎ シロスタゾール
抗血小板薬シロスタゾールは、血管のなかで血液が固まらないようにする薬です。臨床現場の医師によって、この薬を飲んでいると『認知症の進行が遅くなる』ことが観察されました。見つけたのは国立循環器病研究センターの猪原医長で、2014年のことでした。シロスタゾールは血栓を抑制する他にも、脳の血管を拡張させて血流を増す作用があります。認知症の患者はしばしば血管の病気にかかるので、猪原医長らはシロスタゾールに抗認知症効果があるのではないかと考えたそうです。現在、医師主導型の臨床試験が進行中で、早ければ数年後に中間報告があるはずです。さて食品成分のなかにシロスタゾールとよく似た薬理作用をもつものが少なくありません。代表的な成分はお茶とコーヒーのカフェインです。効き目はシロスタゾールよりずっと弱いものですが、毎日飲めば効果があるのかも知れません。

◎ イソプロテレノール
国立長寿医療研究センターの添田研究員らは、AD認知症の原因となる「神経細胞脱落」を抑制する候補薬を見出しました。気管支喘息などに用いられるイソプロテレノールをADマウスに3ヶ月間投与したところ、脳神経細胞の脱落が少なくなることがわかりました。作用機序はAβ出現よりずっと後に出現し、より直接的に認知症を引き起こすタウタンパク質を減らすことだそうです。研究成果は2013年にロンドンで開催された認知症サミットで発表され、2025年までに認知症治療薬として開発するとの宣言も発表されました。野菜や果物のポリフェノールにはカテコール構造が沢山あるので、食生活の大切さが感じられる研究です。

◎ ビオグリタゾン
大手製薬会社の武田薬品工業は、2013年の夏、抗糖尿病薬ピオグリタゾン(同社製品)をAD治療薬として開発していると発表しました。第Ⅲ相試験の被験者募集が行われて、今年2月までに予定した人数に達したとのことです。ADは第3の糖尿病とも呼ばれる病気ですから、以前から糖尿病の薬はADにも有効との話がありました。なかでもピオグリタゾンは転写因子の1種であるPPARγアゴニストに属する薬で、脳内の糖尿病状態を改善してADに効くと考えられるのです。ADPPARγを刺激する食品成分は色々ありますから、ADを食生活の面から見直す努力も認知症を遅らせる有効手段になるのではないでしょうか。

◎ ガンマオリザロール
更年期障害の心身症治療薬として大塚製薬が開発した米糠成分ガンマオリザノールに、今は高脂血症薬としての効能が加わりました。分子内にフェルラ酸を含んでいて、これが活性本体であると考えられています。最近になって、フェルラ酸の脳機能改善作用が注目され、オリザ油化株式会社がまとめてホームページに書いています。これとは別に広島大学の中村名誉教授が指導する形で、フェルラ酸を含む植物成分混合物が認知症に有効であり、ヒト臨床試験あるいは臨床観察試験を行うとの情報が独り歩きしていますが、正式に登録された臨床試験のことではないようです。フェルラ酸のADに対する効き目は兎も角として、ガンマオリザノールのコレステロール吸収抑制とエステル化代謝酵素抑制は、生活習慣病全般にとって好ましい作用です。

■DRが成功するまでは

以上に紹介したDR候補薬には、食品成分のDHAやガンマオリザノールがありますし、シロスタゾールやイソプロテレノールと似た作用を示す野菜や果物の成分もあります。また、ADリスク因子の2型糖尿病を予防することや、高血圧や高脂血症を予防することで、間接的にADを予防することは重要なことです。現状では、一旦MCIになると、80%の人が6年以内にAD認知症に発展するとなっています。その期間を自分自身の努力によって長くすることも可能であるとなっています。タバコを止め食生活を改善すること、運動すること、そして少々のお酒を飲むこと、こういう努力があってこそ、人生の最後のときに『長生きして良かった』と心底から思えるのではないでしょうか。筆者からは、1日1杯のコーヒーをお勧めしたいと思います。

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